ただ文章が書きたいだけ

なんとなく思ったことをあまり考えすぎずに

混じっていく

 私は皿を洗う手を止め、ただぼんやりと机の角を見つめた。はっと我に返り手を動かすが心ここにあらず、ため息が漏れる。言われた言葉が頭から離れない。期待すべきではなかったのだ。自分の限界なんて分かっていたはずなのに。久々の希望がただ嬉しかったのだ。純粋にその明るい道を信じたくなってしまったのだ。それなのに。

 あの日から数か月経とうとしているのになかなか返事がもらえず正直きっとダメなのだろうということは薄々気が付いてはいたのだ。それでもきっとどうにかしてくれるはずだと心のどこかで信じていた。そして私は明るい場所へと進んでいけるのだと、大きな勘違いをしていた。すれ違う人を見て、私は特別であなたたちとは違うのだと心の中でほくそ笑んだことさえあった。今思えばひたすらに傲慢で、なんと浅はかなのだろう。私は変わらず「特別」になどなれはしないのに。

 今思えば、信じているときが一番幸せだった。現実を見ずに自分の殻の中に籠って妄想を膨らませ自分の思う通りの物語を考えているときは心が躍った。本当の自分を忘れ、見ないふりをして、自分以上の自分を信じるのだ。強い信念を持ち、信じ抜ける人はきっとそうやって自分を高めていくこともできるのだろう。だが、私は弱いのだ。弱いから本当の自分を見つめず、自分ではない何かになろうとしてしまう。自分ではないということは比較対象は全て他人となるから、他人の幸せが怖い。幸せそうな家庭、幸せそうな恋人、幸せそうな家、幸せそうな仕事。すべてが羨ましくなる。自分のすべてか不幸に感じ、死にたくなる。負の連鎖なのに止められない。やっぱり自分はダメなのだ。自分がしてきた選択、進んできた道すべてが間違っていたのではないだろうか。もう取り返せない年月、私はもうどこへも行けない。

 堂々巡りの思考でも、日々は繰り返しやってくる。私はもがいていた。何かをつかもうとしていた。だから、努力をしていた。それが少しでも評価されたことに純粋に心から嬉しかった。しかも今まで欲しくても手に入れられなかった切符付きだったのだ。希望が見えた気がした。私の人生これからなのかもしれないと心が軽くなった。でも、すべて甘い考えだった。そんなはずなかったのだ、私はその切符さえ手に入れられないほど道を進んでいた。その場面その場面で悩んできたけれど、楽なほうへ流されていたことは確かだった。人並以下に打たれ弱く、逃げ道を探してしまう自分の性格所以だろう。今更、欲しいものが手に入らないなどというのは虫が良すぎるのではないか。

 現実を突きつけられたとき、頭では理解していたはずなのに心がなかなか追いついてこないのはなぜだろう。まるで水と油のように、心が現実を跳ね返す。心に馴染んでいかないのだ。腹の奥がきりりと痛む。受け入れたくないのだろう、現実を。しかしながら、どんなに悲しくとも次の日はやってくる。少しずつ現実という異色の一滴を心の器に落としていく。少しずつ、少しずつ。すると気が付かないうちに受け入れられなかった現実が心に溶け込み混じっていく。激しい失望も悲しみも自分の一部となり、現実を理解する。そうやって進んでいくしかないのだ。